打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?感想 

はじめに

 映画「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」の感想です。公開から1週間。悪くない映画だと思うのですが、足りない部分の不手際と公開時期の間の悪さで割を食って低評価されている印象なので、好評側からの感想を残しておきます。思いっきりネタバレする記事なのでその点は留意してください。

www.uchiagehanabi.jp

あらすじ

夏休み、とある海辺の町。花火大会をまえに、「打ち上げ花火は横からみたら丸いのか? 平べったいのか?」で盛り上がるクラスメイト。そんななか、 典道が想いを寄せるなずなは母親の再婚が決まり転校することになった。
「かけおち、しよ」
なずなは典道を誘い、町から逃げ出そうとするのだが、母親に連れ戻されてしまう。 それを見ているだけで助けられなかった典道。
「もしも、あのとき俺が…」
なずなを救えなかった典道は、もどかしさからなずなが海で拾った不思議な玉を投げつける。 すると、いつのまにか、連れ戻される前まで時間が巻き戻されていた…。
何度も繰り返される一日の果てに、なずなと典道がたどり着く運命は?

 (公式サイトから抜粋)

 解釈・考察

 ラストシーン含め、考えたいこと、考えなければいけないことが多すぎるので、解釈・考察については別途まとめています。

 

ku-mal.hatenablog.com

 

感想

 本来なら解釈や考察を踏まえつつ書かないといけないのだが、長大になりそうなので取り敢えず解釈に依らないいい点と悪い点だけ列挙する方式で記す。

いい点

・なずなというキャラ

 なずなというキャラクター。この1点だけでも映画として存在価値はあるといってもよい。ちょっと大人びた美人の同級生を男子の目というフィルターを通して見たとき生まれる得体の知れない魅力。なぜか目を引き付けられるその魔性のエロスが映画館の大画面を使って描かれており、正直なずなが映っているシーンは常時脈拍が2倍くらいになっていた気がする。それくらいエロい。

 絵だけでも十分にドキドキするのだが、そこに加えて広瀬すずの演技の魅せる力がすごい。普段学校で見せる冷めた大人っぽさと親という逃れえない存在の前でみせる無力な幼さ。そのギャップの中でたゆたう不安定な少女を広瀬すずは完ぺきに演じており、あらゆるシーンで違ったなずなの魅力を引き出している。見た目がちょっと戦場ヶ原に似ているからと言って「広瀬すずじゃなくて斎藤千和にやってほしかった」とか言い出すオタクは見る目ないし二度と声優とか演技の話をしないでほしい。

 

・幻想的な世界描写

 考察に書いた通り、このアニメでは主人公がもしも玉によって別の世界へと渡っていくのだが、初めの世界以外は普通とは違う異常な世界となっている。この異常さを表現するために利用されるのが「普通ではない形の花火」をはじめとした描写。これらの生む幻想的な雰囲気はこの映画のもつ独特な空気づくりに寄与している。特に好きなのは三番目の世界でなずなが歌いだしたときにあらわれる幻たち。なずなのそれまでのクールな雰囲気とは一変した年頃の女の子っぽい、いやむしろ中学生だということを考えたらややこどもっぱいくらいのファンシーな世界。これによりなずなの隠された少女的な面が見えるわけであり、ベタだけどとても素晴らしい演出だと思う。

 演出という意味ではラスト、もしも玉を花火として打ち上げたら様々な世界の可能性が見えるというのもけっこう好き。抽象的な部分の解釈については考察に置いておくとして、火花の中に様々な世界の可能性が断片的に見えるという演出は2015年から「可能性の物語」自分にはとても響くものがあった。

悪い点

・演技と絵の乖離。

 全体的に少年たちの見た目の幼さに対して声優陣の演技の年齢感が高すぎる。声の雰囲気としては高校生に近い。おそらく声優陣(と音響スタッフ)はリアルな中学生くらいに作ったのかもしれないが、絵の中の中学生はだいぶ幼く小学生くらいに見えているのでどのシーンもなんとなく声と絵が乖離してしまっている。世間的には菅田将暉の演技がひどいとか言われているようだがそれは嘘。目を閉じて聞けば宮野真守とのやり取りもごく自然であり発音も活舌も違和感がない。目を開けるとどっちもキャラからなんとなく浮く。つまりどっちも演技は問題なく音と絵が合わさる段階に問題があると考えられる。

・セクハラ台詞の多さ

 花澤香菜の演じる女教師へのシーンがすべてセクハラ、それも最近では深夜アニメですら露骨すぎてやらないくらい低レベルなものになっている。胸の形が露になる乳袋な衣装がまずうっとなるのだが、胸の大きさについて男が直接相手に言及するというのはかなりきつい。このご時世にこんだけ下品なシーンを挟める神経が逆に尊敬できる。新海監督から徹底的に捨て去られた童貞臭さがこんなところで結実するのは時代錯誤としか思えない。

まとめ  

 この映画について「広義のセカイ系である」とか「なずなと典道の二人だけの世界とその喪失を描いて彼らの内面的成長を描いている」とか色々言うことはできる。実際、様々な解釈の余地がある映像表現や絵の芝居がちりばめられているし、ただただ余韻を引く終わり方も考察意欲を誘う。がしかし、これらの要素は裏を返せばわかりづらい退屈さと投げっぱなしの尻切れトンボの末尾ということにもなる。はっきり言って万人にお勧めできるものではないし、もっと言えばあれだけ大規模に宣伝して人を呼ぶべき映画でもないと思う。中学生女子が放つ魔性の魅力に主人公と同じように絡み取られていく心をデート中に味あわされるのは男女どっちにとっても気まずいことこの上ないであろう。

 そんなわけで、この映画は「なずなの放つエロスに興奮できちゃうダメな大人のための映画」であり、まかり間違ってもカップルで見に行くようなデートムービーではない。君の名はを期待して見てはいけないし、むしろ君の名はで新海監督の童貞臭が失われたことを悲しむような人達にこそ見てほしい映画である。しかしヲタク層からは「広瀬すずが声優をやるな」とか素っ頓狂なクソ批判しかされないわけで、どの層からも勝手な期待と偏見で叩かれてるのは憐れとしか言いようがない。