打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 解釈と考察 ―――もしも玉と幻灯機―――

 映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の個人的解釈と考察です。先に挙げておいた感想の下敷きとなっているので合わせてどうぞ。

 

ku-mal.hatenablog.com

 

 以下、いくつか参考にしたブログです

comarumin.hatenablog.com

a-arekore.com

lovekuzz.hatenablog.com

あらすじ(公式サイトから抜粋)

夏休み、とある海辺の町。花火大会をまえに、「打ち上げ花火は横からみたら丸いのか? 平べったいのか?」で盛り上がるクラスメイト。そんななか、 典道が想いを寄せるなずなは母親の再婚が決まり転校することになった。

「かけおち、しよ」

なずなは典道を誘い、町から逃げ出そうとするのだが、母親に連れ戻されてしまう。 それを見ているだけで助けられなかった典道。

「もしも、あのとき俺が…」

なずなを救えなかった典道は、もどかしさからなずなが海で拾った不思議な玉を投げつける。 すると、いつのまにか、連れ戻される前まで時間が巻き戻されていた…。

何度も繰り返される一日の果てに、なずなと典道がたどり着く運命は?

 もしも玉の機能に基づいた構造の解釈

 公式のあらすじには「時間が巻き戻されていた」と書かれているが、これは誤解を呼ぶ書き方である。なぜなら、もしも玉によって行き着く世界はただ時間が巻き戻っただけの世界ではなくifの世界、現実ではたどることのできなかった一種の異世界だからである。このことは「灯台から見た花火の形」で明確に示されているし、海の上を延々と走る電車とか最後にたどり着いた異様な駅の様子などからも分かる。つまりこの映画は「タイムリープしてやり直す話」ではなく、「ある分岐点で選ばなかった別の世界を追体験していく話」なのである。*1

 世界線を移るもしも玉の機能を念頭に置くとストーリーは次のような流れになる。

第一の世界

 物語の始まりの世界。朝の場面から始まり、なずなの転校や花火大会が今日であることなどが説明される。この世界での分岐点はプールでの競争の結果。典道が負けて祐介がなずなに花火大会へ誘われる。いろいろあって祐介がこの誘いをすっぽかしたことを典道が伝えにいくが、その結果なずなが母親に無理やり連れてかれる場面に遭遇。無力な自分への憤りにかられた典道は祐介を殴り、さらになずなが落としていった「もしも玉」を投げる。ここでもしも玉が発動し第二の世界へ話は移る。

第二の世界

 プールの競争で典道が勝った世界。なずなに誘われた典道は家に来た祐介を撒いてなずなと逃亡し、駅へと向かう。ここで初めて親から逃げたいというなずなの真意が語られる。この世界での分岐点はこの後、なずなの両親(母と再婚相手の男)に二人が捕まってしまいなずなが連れていかれるところになる。男になぐられて意気消沈した典道は祐介たちと出会い、気まずいまま灯台へ。そこで「平べったくなった花火」を見ることで典道は自分がもしもの世界をたどっていること、そしてそのきっかけがもしも玉にあることを悟り、灯台の光へ向け投げて第三の世界へ移っていく。

第三の世界

 なずなの両親から逃げることに成功した世界。これは前の世界の記憶によって成り立っているため、ここで既に典道には前の世界までの記憶があることがわかる。なんとか滑り込んだ電車には典道となずなしか乗客がおらず、トンネルに入るとそこは完全に二人だけの世界となる。ここでなずなが「瑠璃色の地球」を歌いだし、電車の中は幻想に包まれるが、トンネルを抜けたところでその世界は突然断たれる。ここが最後の分岐点。踏み切りで祐介たちにみつかり、さらに車で追いかけてきたなずなの母親にも見つかった典道たちは駅で追いつめられてしまう。

 しかし、そこからホームを飛び降りて逃走に成功。二人は灯台へ向かい、頂上で花火を見る。しかしここで見える花火は完全に普通のものではなく、典道はここが元の世界とはかけ離れて違う世界だと悟る。追いかけてきた祐介に押されて落ちる二人だが、「もしトンネルを抜けたところで誰にも見つかってなかったら」という思いをかけもしも玉を投げることで最後の世界へ移る。

第四の世界

 最後の世界。トンネルを抜けたところで祐介たちに見つからないようになずなを押し倒し、さらに母親の車もやりすごす。ここで前の世界と違って母親が車から身を乗り出していないため二人は見つからずに済むのだが、これを見て典道はもしも玉による世界の分岐は自分の力によって選び取るものではなく超常的な力によっていざなわれるものなのだと悟る。彼の悟った通り電車は前の世界とは違う線路へと分岐し、二人の乗ってる電車は延々と海の上を走り誰もいない駅へとたどり着く。

 そこはもしも玉にかけた通りの「誰にも見つからない世界」であり、花火を見るまでもなく異様な空間とわかるところになっている。ここから二人だけの世界での二人のやり取りが続くのだが、突然に前の世界で出てきた花火師が登場。もしも玉らしきものを花火として打ち上げてしまう。夜空に上がったもしも玉は割れ散り、典道やなずな、祐介に様々な世界の可能性を見せて消えていく。これを見ながら二人は海へと沈んでいき、海面越しの花火を見ながらキスをする。

 この後、もう一度今度は後日の登校日のシーン。なずなのいない出席確認がされるなか、典道は学校へ来ておらず、最後はナズナの花が映されて終わる。

考察

1)“もしも玉”のもう一つの効果について

 上にも書いた通り、もしも玉はifの世界に行くための道具である。行き着く先は単に世界線が分岐した世界ではなく、物理法則などが現実とは違う世界、夢に近い幻想の世界になっている。そしてその世界ではもしも玉を投げたときに願った「もしも」という願いが玉の超常的な力で叶えられている。*2

 しかし、もしも玉の起こす現象が単に異世界に行くだけとすると、問題になるのはラストまでの流れである。4番目の世界に移る際、典道は「誰にも見つからないこと」を願ってもしも玉をなげ、結果として誰もいない無人の街にたどり着く。つまりここがもし玉の力で作られた異世界だとするならば、ここは本当に無人の街であり二人以外の人は存在しないはずである。しかし、実際にはこの世界は突然現れた花火師によって崩される。なぜここでこの花火師は登場できたのだろうか。

 まず考えられるのが「そもそもこの世界は二人だけではなかった」ということである。典道がもしも玉に願ったのは「誰にも見つからないこと」であり、それに対して二人以外の存在が無い世界を作るという応えは間違っていないが叶え方としてやや乱暴である。それならば彼らが駅についたときや行く先だけ人払いをかけるという方が叶え方としては無理がないと思う。

 しかし、この解釈では典道たちが見た世界のおかしさという部分がまったく説明できない。人がいないように見えるだけの異世界ならあのような空間の模様は見えるはずがない。あの不思議な世界はどういうことなのか。 

 個人的な解釈としては、あの不思議な世界はもしも玉のもう一つの効果によって映し出されたものであり、花火師の唐突な登場はこの効果を表現するための手段と考えられる。

 もしも玉のもうひとつの効果、それは幻想の投影である。第三の世界で典道となずなが見た二人だけの世界。広瀬すずが歌う瑠璃色の地球をバックに描かれるあの世界はララランドのラストシーンなどと同じく二人の間だけで共有される幻想の表現に思えるかもしれない。だが、あれももしも玉の力で典道たちに見せられてる世界そのものなのではないか。そして最後の世界で行き着いた無人の街もあれ自体が異世界なのではなく本当の街に無人の街の幻が重ねて映されただけの場所だったのではないだろうか。そう考えると花火師の登場も不思議ではなく、もしも玉によってなずなと典道の二人に見せられてる幻想の外にいただけと考えると辻褄があう*3

 この解釈にはいくつか証拠となりえそうな符号がある。例えばもしも玉の発動時の演出。言及されてはいないが、もしも玉が発動する際には必ず西日や灯台の光のような強めの光線が玉を通過する演出が入る。*4また、もしも玉の内部には電球のコイルのような部品が見える*5。光を通すことで意味をなすもので連想されるのはプリズムやフィルム・レンズ。そして内部に電球がある。これらの要素からは映画の映写機が連想されないだろうか。映写機の古い言い方は幻灯機、幻を灯すと書くのところも意味深である。ラストに壊れたもしも玉が世界の可能性を映し出すのも投影の効果とのかけ合わせとすると演出に対して納得が増す。

 

2)ラストについて

 正直、ラストについては答えが出ていない。

 考えるべきことは主に二つ。もしも玉が壊れたことで彼らはどうなったのか。そして最後のシーンは何を表現しているのか。

 一つ目の疑問については、もしも玉が壊れることで正しい世界線が第一の世界から第四の世界に移ったと考えることもできる。しかし、なずなが海に沈んでいく描写が別れや喪失のイメージと結びつくと考えると「すべての世界の記憶を持ちつつ第一の世界に戻ってしまった」という風にも考えられる。この2つはまったく異なる解釈ではあるのだが、この後に続くシーンがあまり少なくてどっちにも定めることができない。個人的には後者の解釈の解釈が好きなのでこちらを推したい。

追記:この第一の世界へ戻るという説の傍証として、次のようなことが考えられる。第一の世界ではもしも玉を通した光が典道の目に入ることで世界線のシフトが起こっていた。上の幻灯機ともしも玉の類似を考えるとこの光の投影は映画の上映のようなものにあたるのかもしれない。つまり、第二の世界以降はすべてがもしも玉の能力で見ているものであり、したがって壊れた後は第1の世界に戻る可能性が高くなるということである。

 二つ目の疑問。これも人によって解釈がいろいろである。純粋にハッピーエンドとして「元居た教室にいない=様々な可能性のある世界を見て精神的に成長した」ということもできる。だが個人的にはあのラストにはストレートな喜びや明るさはいまいち感じられない。そのため、時をかける少女との類似から典道がなずなの幻に取りつかてしまったという将来の終わりさんの解釈(http://lovekuzz.hatenablog.com/entry/2017/08/22/073408)の方により共感ができる。*6

*1:タイムマシンがただ時間を遡るだけの装置であるのに対し、もしも玉は分岐点で別の結果を引き起こした世界につれていくことにある。言い換えれば、タイムリープしただけなら同じ行動を取れば同じ結果に行き着くが、もしも玉の場合は絶対に分岐点の別方向へ進むのである。このもしも玉の超常的な能力が端的に示されてるのが2番目の世界以降の形がおかしい花火や最後にたどり着く異常な世界である。しかし実は一番目の世界から二番目の世界へ移るとき既にこの能力の有り様は示されている。なぜなら二番目の世界の典道が一番目の世界のことを思い出すのはプールでの競争が終わってからであり、典道自身が世界線を変えたわけではないからである。この世界線の分岐はあくまでもしも玉の力で起こっていることは最初の段階で示されてはいるのだ。

*2:第三の世界での分岐点だけは典道の行動による結果の操作のように見えるが、この部分だけ他と色調が明確に違う。なにか絵本のようなぼかされた印象になっている。典道自身は行動によって未来を変えたつもりかもしれないが結局は超常的な玉の力の範疇にあった、ということを示唆しているのだろうか

*3:こう考えると花火を初めとしたすべての不思議な事象も幻想を映しているだけのように考えられるかもしれない。だが、花火の形のように他の人にも見えているものと見えていないものがあるという点を踏まえるとそれのみで説明するのも難しく思う

*4:ただし第三の世界から第四の世界へ移るときは海に落ちていくため光を通す演出はない

*5:このif型の電球は元のドラマにあるのかもしれないがまだ確認できてない

*6:さすがにネットで見かけた「死んでしまった」は名前が読み上げられる出欠確認のシーンがあるので合わないとは思うが、それに近い悲しみのようなものがこの結末にあると思う