ラブライブサンシャイン2期第7話が好きという話

 ラブライブサンシャイン2期7話についての話です。

 私個人はラブライブファンとして熱心ではない方だしそんなに熱心には見てなかったのですが、今回は素晴らしく好きだったのと、その割に世間的に批判が多いので、どこが最高なのかという話をしたいです。

7話の話の流れのおさらい

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 百聞は一見に如かないので上の公式配信で確認してほしいですが、一応テキストでも軽く確認。

 前回の地区予選を受け、アバンで結果発表。

 見事に1位通過を果たしたAquorsの知名度はぐんと上がったようだが、それでも入学希望者数の増加には結びつかず。期限を朝5時に伸ばしてもらうも届くことはなく募集は停止。Bパート冒頭では統合決定の貼り紙が出され、廃校は本当に決まったことがわかる。

 廃校が確定したことで目標を見失ってしまった千歌。気持ちを切り替えて決勝に向かおうとするも、心は追いつかず。自分たちは本当はどうしたいのか、今一度自分の心に問いかけた千歌たちは「ラブライブに出ても学校を救えないなら意味はない」という結論にたどり着く。しかし、そこで現れた浦の星の生徒たちに「廃校を阻止することだけが救うことではない。学校の名前をラブライブの歴史に刻むことで「救って」ほしい」といわれて開眼。ラブライブへの決心を新たにする。

何が最高だったのか

・ちゃんと廃校が決定したこと。

 廃校が決定したことに誠実さを感じたのがまず大きなポイント。

 浦の星女学院が廃校する理由は生徒数の減少にあるが、そこには学院が辺鄙なところにあることや地域全体の少子化など様々な公的な要因が絡んでいる。そのため、学校の知名度が上がったくらいで応募者が増えるようなことは普通ありえない。無印の頃は東京という立地での話だったのでまだ知名度の向上で解決することもあり得た。しかし、今回は作中で何度も言及されるほど田舎の話である。この状況でもし知名度が向上したくらいで生徒数の問題が解決するならばリアリティがない。そしてそれ以上に、学校が過疎化した田舎にあるという公的な問題に言及しておいて解決方法が知名度の向上という私的な範疇の努力で解決としたならば、それは非常に不誠実なことだと思う。

 現実にある公的な問題というのは、必ずそれに取り組まんとする当事者がいる。創作物であるとはいえ、それらの問題をテーマとして言及するならば、自助努力による解決でよしとしてしまうのはどうなのか。問題の提起だけをして自分は答えを出さないのはどうなのか。当事者からしたら自分たちの土俵に勝手に入られて荒らされただけではないか。意見の投げ掛け自体を目的としたならまだしも、エンターテイメントでそれをやるならばそれは問題の提起ではなく消費であり、非常に誠実さにかける態度だと思う。個人的な趣味の話だが、そういう作りのストーリーは好かないのである。*1

 だからこそ、スジの通らない解決にせず、きびしい現実として廃校を突きつけた今回の話は誠実に思うし、非常に好きなところとなっている。

・「なぜ自分たちはラブライブに向かうのか」という原点に立ち返ったところ

 BパートでAquorsの面々がラブライブについて「ちゃんと考える」ことになった展開。これが本当に素晴らしい。

 千歌をはじめとした

・ちゃんと廃校が決定したこと。

  廃校が決定したことに誠実さを感じたのがまず大きなポイント。

  浦の星女学院が廃校する理由は生徒数の減少にあるが、そこには学院が辺鄙なところにあることや地域全体の少子化など様々な要因が絡んでいる。そのため、学校の知名度が上がったくらいで応募者が増えるようなことは普通ありえない。無印の頃は東京という立地での話だったのでまだ知名度の向上で解決することも。しかし、今回は作中で何度も言及されるほど田舎の話である。この状況でもし知名度が向上したくらいで生徒数の問題が解決するならばリアリティがない。そしてそれ以上に、学校が過疎化した田舎にあるという公的な問題に言及しておいて解決方法が知名度の向上という私的な範疇の努力で解決とするのは、非常に不誠実だと思う。

現実にある公的な問題というのは必ずそれに取り組まんとする当事者がいる。創作物であるとはいえ、それらの問題をテーマとして言及するならば、自助努力による解決でよしとしてしまうのはどうなのか。問題の提起だけをして自分は答えを出さないのはどうなのか。当事者からしたら自分たちの土俵に勝手に入られて荒らされただけではないか。意見の投げ掛け自体を目的としたならまだしも、エンターテイメントでそれをやるならばそれは問題の提起ではなく消費であり、非常に誠実さにかける態度だと思う。個人的な趣味の話だが、そういう作りのストーリーは好かないのである。*2

だからこそ、スジの通らない解決にせず、きびしい現実として廃校を突きつけた今回の話は誠実に思うし、非常に感心したところとなっている。

*3

 

・「なぜ自分たちはラブライブに向かうのか」という原点に立ち返ったところ

 BパートでAquorsの面々がラブライブについて「ちゃんと考える」ことになった展開。これが本当に素晴らしい。

 千歌をはじめとしたAquorsの9人がラブライブに出場する目的は「廃校の危機を救う」ことにあった。これは2期前半でもずっと言われてきたことであり、Aパートでもその思いは十二分に示されている。μ’sが起こした奇跡を自分たちでも再現し輝きを手に入れようというのが描かれていたロードマップであり、言ってしまえばラブライブというのはあくまで手段にすぎなかった。

 そんな中で無念にも確定してしまった統廃合。気持ちが切り替わらないのも当たり前である。「先輩たちにとっては最後の大会」や「決勝に出る以上優勝を目指さないと」といった新たな目標を打ち立てはみるが、千歌にとってはどれも「本当の気持ち」にはならない。空虚なまま素通りしていくだけの言葉であり、空元気で前を向いたところで無意識に涙が流れるほどの悔しさだけが胸に残っていく。そんな心をAquors全員が持っていたからこそ「どうしたいか」もう一度真剣に考えることなる。この展開が本当に心を揺さぶるのである。

 当たり前の話だが、代替として掲げられている目標はどれも、他の作品、他の場面ならば目標足りうるようなものであり、実際に掲げている作品もたくさんある。そしてなにより、創作以上に現実においてこれらは目的意識として据えられ、美談の種として語られる。

 本来、こうした動機は自分自身の意思として導いたものでなければ意味はない。心が伴っていなければそれは嘘であり、創作で言えば描写不足で「取って付けたような」と評される話となる。それにも拘わらず、現実ではありとある事柄にこの「取って付けたような動機」が貼りつき、目的意識として掲げることを強迫的に促してくる。心の表層だけでしか理解できてない空虚な嘘をさも心酔した真実であるように語ることを強いてくる。*4

 こうした世間的なお題目や世の中の「当たり前」という綺麗ごとに追い立てられ流されて生きている私にとって、それに抗い本心を問い直す今回の展開というのは非常に涙を誘われるのである。問いかけの答えとして出た「ラブライブなんてどうでもいい」という発言などもエモいのだが、なによりもまず問いかけをしたという事実が泣けるのである。*5

・「学校を救う」という目標に立ち返ったうえで、新しい目標を打ち立てたところ

 ここは素直に「その手があったか」という驚き。

 上記の通り、千歌たちは真剣な問いかけを行った。その結果として、自分たちにとってのラブライブが手段であり、廃校阻止という目標自体が達成不可能になった時点で出場すら無意味になることを認めた。*6このまま行けば結論は「ラブライブには出ない」という事になるのだが、それだと物語が終わってしまう。

 そこで出てくるのがAquors以外の生徒。彼女たちは「学校を救いたい」という原点に立ち返ったAquorsに「廃校阻止だけが救う手段ではない」「歴史に名を刻むことで学校を救ってほしい」いう思いを伝える。これによりAquorsは立ち返った自分たちの目的意識をぶれさせないまま新たにラブライブへのモチベーションを取り戻す。論理的にも感情的にもしっかりと筋が通っており、見事な着地だと思う。*7

 

以上が大まかな好きなところの話とその理由なのだが、その他細かい部分の表現として好きなところを一部羅列しておく。

・千歌の空元気の演技。無理してる感じが言葉からにじみ出ていてよい

・千歌に話かけるクラスメイトの表情。微妙に困り繭になってるところに廃校が決定していながらラブライブ出場を応援することへの葛藤が見て取れる

・動画視聴者数の増加と応募者数の悲しい対比。現実の厳しさある。

etc.

よく見た指摘についての見解

 以下は見かけた指摘について見解です

・なんで伸ばした期限が朝5時なの/5時に応募するやつがいるのか

 実際、5時台に応募者が増えるというのはほぼあり得ないことだが、この5時という時間設定自体にはそれなりの理屈が通っていると思う。

 マリーの父親がいる場所は日本時間で夜9時のとき早朝とされている。そこから8時間後がタイムリミットとなると、向こうでは正午か午後1時頃。そこでお昼から行われるミーティングで統廃合の手続きを開始するならば時間的なつじつまはあう。

・ラスト、なんで生徒みんな揃っているの

 このシーンに限らず、このアニメでは全体的にこういう「リアリティ度外視のシーン」がある。これは現実に起こっている出来事というよりも心象風景を具現化した舞台的な演出だと思う。詩的に言えば現実の地平から浮き上がるというべきか。今回のラストはその中でも特にその感じが強く出ている。

 普通にしたらマリーの「でも」という言葉を引き継いで千歌が語りだすことは会話としてあり得ないし、生徒が集まるはずもない。それでもこの場面がシーンとして成り立っているのは、すべてのセリフが一つの思考をなぞる形で行われているからである。学校を救うという目的の原点へと回帰し、一度は出場を否定するが、し解釈を変えることでもう一度モチベーションを新たにする。この一連の考えを複数人のセリフとして分けた結果としてのシーンなのでリアリティはなくて当然というべきか、むしろないところが良さだと思う。

*1:出した問題を解決しないのはカタルシスがないのも確かだが、それなら公的な方法を取り入れて解決してほしい

*2:出した問題を解決しないのはカタルシスがないのも確かなのだ

*3:巷では「どうせ最終回で廃校が回避できる」と言っている人もいるけど、後半パートの流れから行ってそれはまずありえない

*4:その嘘は他の誰かを傷つけることはないが、自分自身の心を蝕んでいき、やがては虚ろな魂だけを残していく。

*5:もし千歌たちがここですんなりと割り切っていたならば、ここから先はどう頑張っても感情移入のできないもやもやが残るストーリーになっていたであろう。

*6:ここの語りの内容を正確に表現するならば、輝きたいという抽象的な欲求と学校を救うというより具体的な目的が不可分であること。そして学校を救う=廃校の阻止ということの再確認である

*7:Aquorsだけで完結した理論に他の生徒がブレイクスルーを加えるという構図もエモさがある。